診療所で患者さんを連れて温泉旅行に行く計画があった。
うちの診療所のまわりの老人は元気で、みんな仙人にでもなろうとしている。
80間近のばあさんを小娘呼ばわりするお婆さんとかがいる。
多分私なんて卵子ぐらいに見えている。
そんな魔女や妖怪たちを秘伝の湯につからせて、さらに空でも飛べるようにしちゃおうってこの企画。
心ときめく企画。
私、知りませんでした。
医療交流会で前日まで沖縄行ってました。
帰ってきて泡盛やらなんやら沖縄の名産を両手に持って出勤したら、その日が旅行の日でした。
戸惑う私に婦長は
『ごめーんカトちゃん居残り組だから、午前の診療終わったら、先生と追っかけてきてぇ』
と。
追っかけてきてぇと。
多摩まで?
自力で?
バス乗っけてくれないの?
私は黙々と午前の診療をこなした。
多分婦長は、私が沖縄旅行で疲れているから、患者さんのことは私に任せて、あなたは後からきて温泉にゆっくりつかりなさいってことなんだと思う。
バスで患者さんと一緒よりも電車の方が疲れないんじゃないのって気遣ってくれてるんだと思う。
さすがだなー。
婦長あんたさすがだよ。
長ってのはそうあるべきだよね。
思いやりが目にしみるなあ。
・・・・。
キツイよ。
キツイですよーっつーの。
てんてこ舞うよ。
んで、追いかけた。
ドクターと息切らして電車に滑り込んだ。
すげぇイイ天気。
空気が違うねぇーなんつって深呼吸。
仕事をひとまず終えてから来る多摩ってサイコー。
私とドクターは微笑み合いながら、温泉のある建物の中に入った。
和やかな気分で足を踏み入れると、婦長が駆け寄ってきた。
すげぇモシャモシャの髪の毛で明らかにテンパった顔してる。
婦長って思ったけど、婦長じゃないかもしれない。
『カトちゃん!』
あ、やっぱ、婦長だ。
私は微笑んだ。
ご苦労様ーって言われると思って、労(ねぎら)われる用の笑顔出してた。
『お風呂!お風呂入って!』
あ、さっそく?
『そんなに良いんですかー?露天とかあるんですよねー?』
なんて、婦長の焦りを、温泉凄く良くって大興奮の婦長だと間違った私は
『いやー悪いですねー』
なんてまるで勘違いな事を言いつつ、浴場の暖簾をくぐった。
脱衣場にはこれまた髪の毛モシャモシャの桃山さん(もう一人の看護師、ぼんきゅっぼんの定年間近)が待ちかまえてた。
『加藤さん!早く中入って!』
いやーそんなに良いんですか?
仕事終わって風呂なんて贅沢だなあ。
『いやいや、すみませんねー』
って入りました。
ドア開けまして。
ちょっと閉めました。
タオルで前を隠しながら、桃山さん見ました。
『何してるの!早く入って!』
桃山さんは出てきた患者さんの頭をすげぇ勢いで拭きながら、怒鳴った。
『あ、でも・・』
往生際悪く、四の五の言ってみようと口を開きました。
その桃山さんの横をヨロヨロとお婆ちゃんが裸のまま暖簾をくぐろうとしている。
『あああーー!!キクさん!裸っ!裸っ!』
戦場だ。
私はドアを開けてタオル握りしめて、浴場の中に入った。
濡れて滑りやすいタイルの上を、ぷっるぷる震えながら、長老が歩いている。
歩いてるっつーか震えてる。
習いたての一輪車みたいになってる。
目を背けたい。
ジェンガが始まってる。
私は慌てて駆け寄った。
『大丈夫ですか?』
『ちょ、ちょっとアータ(あなた)手貸して』
私は長老の手を支え、どうにか浴場の外に連れて行った。
そこで桃山さんに長老をバトンタッチ。
さあて、入るぞ。
そう思うとまた、ガックガクに膝笑っちゃってる魔女達が次々に湯船からわき上がってきた。
仕事だね、これ。
お仕事の一環だったね。
知ってたけど。
私は体も洗えぬまま、温泉の一滴にも触れることなく、しわしわな手が、いつもより多めにシオシオになってる手を掴み、何度も橋渡しした。
しかしそれもやっと一段落した。
ふぅ。
良い仕事させてもらった。
やっと私が温泉を楽しむ番だ。
私は風呂桶に座って、仕事の汗を流した。
『炭石けんシャンプーだ』
いいっすねー、地肌の汚れ、根こそぎ行けそうですねー。
私は思う存分シャンプーした。
アワアワになった。
看護師たるとも、仕事中、いかなるときも、隙を見せてはならない。
私は、すっかり油断した。
『看護婦さぁーーーん!鶴さんが転けたー!』
鶴、転倒!
つーか転倒?!
私は慌てて立ち上がった。
立ち上がったけど、
め、目がっっつ!!!
シャンプーシャンプー!
今、すげぇ絶頂期にアトム作れそうな勢いなのに!
私は目をぬぐい、私はひとまず頼みの綱のタオルで前を隠しつつ、現場に駆け寄った。
『大丈夫ですかっ?!』
つーか私の頭は全然大丈夫じゃないけど!
思いっきりシャンプー中で、普段の威厳台無しだけど!
患者さんもまさかこんな無防備な頭の看護婦が来ると思ってないから、ちょっと面食らった感じ。
『鶴さん大丈夫ー?』
『あいたたたっ・・大丈夫・・だけど・・』
っていうか、鶴さんでけぇえぇ!
育ってるねぇー!
強靱な肉体だねー。
その、鶴(マウント)さんは手を差し伸べながら言った。
『って・・手、貸してくれる・・?』
躊躇するっつーの。
でも、私の仕事はコレ。
『はい!』
私は手を差し伸べた。
ガッチリ掴んだ。
起こそうと引っ張った、力の限り。
これが、もう、ずっしり。
いや、私だってそれなりに鍛えてきた。
あ、でも、負けそう。
引っ張りすぎ引っ張りすぎ、
あ、ちょっと無理っ!
『ちょ・・ちょちょちょ、鶴さんちょっと待って』
ブレイク。
私はシャンプーだらけの頭で悟った。
片手じゃ無理。
片手でタオルを持って、体を隠しながらは無理。
・・・・・。
外す?
いやぁーでもなー、真っ裸はキツイなー。
毛、丸出しで看護するのはキツイなー。
今のこの髪型だけでもかなり屈辱的なのになー。
あー。
上を取るか。
下を取るか。
満場一致で下だな。
私はとりあえず、タオルを腰に巻くことにした。
腰でとりあえず縛って、鶴さんに両手差し出した。
両手差し出した瞬間に、タオル取れたね。
潔くね。
ぶっちゃけ、タオルがウエスト一周ギッリギリだったからね。
騒動にみんなが何事かと寄ってくる。
患者さん以外のおばちゃんたちも寄ってくる。
私は必死で鶴さんの手を持ち上げた。
力学に沿って、上手に起こした。
良い仕事してる。
でもどんなに俊敏に的確に迅速に動いたとしても、
あられもない姿。
『鶴さん足は動く、手は変な風に突いてない?』
私はテキパキと鶴さんの体が負傷してないか確認した。
毛丸出しで。
髪の毛はちょっとしょぼくれたアトムで。
どうやら骨折とかはしてない。
安心した私は、とりあえず、もう一度タオルを腰に巻く。
骨折はしてない。してないけど鶴さん曰く
『看護婦さん、あたしもう歩けそうもないよ・・』
ギブアップ宣言。
タオル投げちゃってる。
いやいやいやいや鶴さん・・
気の持ちようだって、
あたしが言うのもなんだけど、病は気からだって!
野次馬のおばちゃんたちも集まってきて、さも知ったげに口々に言う。
『こりゃおネエちゃんオンブしてやんなきゃ駄目だね』
『そうだね、それしかないね』
おんぶ?!
On・ぶ?
年寄りに優しい国だね。
すげぇみんなが期待の眼差し。
いや、おぶるけど。
頑張るけど。
私は鶴さんを負ぶった。
負ぶった瞬間、やっぱ、腰巻きが取れた。
鶴さんの豊満な胸が背中にべっとりと当たるし、そんなセクシーいらないし、死ぬほど重いし、私は裸だし、
もう何が何だか分からない状態で、とりあえず、脱衣所まで!
『さぁもうすぐですよー。・・!・・づるさ・・ん・・ぐるしぃ・・い』
鶴さんの手!
首、首!
落ちる落ちる!
チョークスリーパー決まってるっつーの!
私は首を藻掻きながら、自分の気道を確保だ。
看護に命かかってきたよ。
結果、失敗だった。
どのくらい失敗かと言うと、その振動と湿気でマイルドになった髪の毛の泡が、滝のように目にかかるくらいダイナミックに失敗だった。
私は生まれたままの姿で、背中にすげぇ物体を背負いつつ、視界を奪われた。
『もっ!桃山さんっ!桃山さんっ!桃っ山さんっぅ!』
桃山さんがモサモサの頭でドアを開けたとき、真っ裸でしがみつく重量級を背負う毛丸出し頭アトムの看護師が、いた。
どっから手を差し伸べて良いか分からなかった。(桃山 後日談)
今はもう診療所で白衣を着て、ばりばりに看護してる私だけど、旅行に行った患者たちは、あの日の私を思い出し爆笑。
セクハラだ。
すげぇ救出劇が裸ってだけで評価されないのは何故だ!!