えっと、二郎くんがね、結核女子と愛を貫いたり、零戦を作ったり、
おおいに風立ちまくってる間にね、
私が何をできたかって、もう歳をね、ひたすらに重ねてきたわけです。
1コ1コ、着実に積み上げてきたわけです。
32歳。多少、顎が右曲がりに出てる以外は、いたって健康。
なのに、風の方ががねー、風の調子がねー。
もう下半身の方もね、帆を立てろー!イカリを上げろ―!とばかりに、出港の準備は万端なんですけど、なんせ風がねー。風のやつがねー。
32年、風待ち。
もうさー泣きながら人差し指を舐めまして、空に掲げてね、ずっと待ってるんですけど。
9月2日現在、立つ気配なし。無風。
一方、銀幕では、もう二郎くん、風立ちっぱなしなわけ。
あの風の谷ですら、そんなに立ってたかな、ってくらい立ってるわけ。棒立ち。
すごいね、二郎くん。と。
どうやってんの、それ?と。
したらまあ、二郎くんがね、どうやら美しいものが大好きだっつー噂を、風の便りで聞きましてね、えっと、なんかサバの骨の放物線を「美しい」とか寝言みたいなこと言ってるって聞きましてね、
それについて、各界のクリエイティブ男子たちが「わかるわーわかるわー」つってるみたいだけどね、
一応ね、私の顎の骨の放物線もね、なかなかのものだっつーことをね、今日は覚えて帰っていただきたい。
もー、このマンダムカーブの放物線ったら、放物の中の放物。
物投げたら、まずそうなるよねーって軌道を、見事、顎で再現しててね、
なんだったら二郎くんとか私の顎のこの感じを飛行機作りにドンドン活かしてってほしい。
あら何かの間違いじゃない?ってくらい右に曲がってっからね、
もう曲がっちゃって曲がっちゃって、多少、零戦も「あれー?」なんつって2、3機帰ってきたかもしれない。
と言うのも、二郎くん、わたし先日、後輩と「コルギ」に行ったんですけど。
もうね、自分でもどうしてそうなったか分かんないんだけど、
私、ずっと、「コルギ」って韓国の焼き肉のことだと思ってたのね。
思い込んでたのね。
で、職場の後輩たちが、すげぇいい「コルギ」の店あるから!っつーから、まあ、お腹もすいたし、と思って「にーく、にーく」つって付いて行ったら、「コルギ」は「骨気」って書くみたいで、「顔面矯正」のコースの1つだった。
焼き肉の要素、1個もなかった。
で、後輩の手前、「あー、このバージョンのコルギねー」つって、知ってた雰囲気を存分に出したんですけど、正直、寝耳に水で。
したら、奥から出てきたすげぇキレイなエステティシャンのお姉さんが、
「加藤さんの場合、お顔の骨が、だいぶずれていらっしゃいますね。
こう、右に。右ななめ前に。」
って、挨拶も早々に言われて。これまた、寝耳に水。耳、水攻め。
で、油断した隙に、お姉さんは、おもむろに、私の顎と頬を触りながら
「あーずれてますね。ずれてるずれてる。」つって。
この時ばかりは私の風も、多少、立ったと思う。
でも、キレイなお姉さんは、それこそ柳に風とばかりに優雅な身振り手振りで、
「顎がねー、こう、右に。右、少しななめ前に、こう」
って、もう軽い輪島功一かなってくらいに、私の顎のシャドーをね、披露してくれたよね。顎から黄金の右、少し出てた。
いやいやいや、そんなはずないって。
「右、少しななめ前」って、もうそれ、顎の沙汰じゃない。
そんな道しるべ、顎から出ちゃうことあるー?
つって、半信半疑のまま、コルギをされたんですけど。
どうやらね、出てるらしくて、もう出る杭は打てとばかりに全体重かけて頬骨を押されたんですけど。
私の頬骨の上で蕎麦でも打ち始めるんじゃないかってくらいグイグイされてんですけど。
「加藤さんの場合!ハアハア!頬骨から曲がってらっしゃるので!ハアハア!しっかりやらないと!ハアハア!」つってね、
割と息を荒げて一生懸命やってくれたんですけど。
途中、一生懸命すぎて、なんていうか、矯正されていくのが自分のことのように嬉しくなってくれたんだと思うんですけど、私の手を取りながら
「ほら、ちょっと触って!右のムーミンみたいなところが、だいぶなくなりましたよ!!」
って言われたんですけど、
「あ、ホントだ!!」って勢いで言ったんですけど、
もうね、私の顔にムーミンとしてた部分があったっつーことの衝撃の方が凄くて。
で、まあ、私の荒ぶるムーミンも、なんとかいい位置に祀ったみたいで、コルギが終わり、鏡を見せられたんですけど、
それぞれコルギを受けた後輩たちが「お顔が全体的にちっちゃくなりましたねー」とか、ちやほや言われてる中、
私だけ「少し左に寄せて止めておきましたからー」つって、顎の止め具合いを、軽い路駐みたく言われて帰ってきました。
・・・・。
わかるわー。二郎くんが落ち込んで軽井沢行った気持ちわかるわー。
32年連れ添った顎が、テスト飛行でムーミン谷に行っちゃうとこ見たわー。
で、結局、心の軽井沢、我がワンルームに帰ってきたんですけど、
まあ菜穂子らしき人がいたためしはないわけです。
それでも多少ね、薄壁の向こうから、たまにオジサンの咳込む声が聞こえたりしてね、
その痰がらみをね、唯一無二の菜穂子として、暮らしてきたわけです。
でも二郎くん、聞いてよ、昨日さ、
ひとり、ワンルームの台所でベビベビベイベ言いながら布袋のギターソロよろしく納豆をかき混ぜてたら、
急に玄関のドアがすごい勢いで開いて、隣の家の人が思いっきり自分ちと間違えたみたいで、「ただいまー」つって帰ってきたわけ。
「あ」つって、すぐにいなくなって、ほんと風のような人だったんだけど、
一瞬、なんかね、ちょっと、感動した。
「うん・・!うん!」
つって、もう誰もいないドアにおのずと二度頷いたよね。
二郎くん、私も確かに見たよ、美しい夢を。
美しくも呪われた夢を。
32年、彼氏なし。男女のめくるめく戦いにおいて、まさかのゼロ戦。
そろそろ私も「永遠の0」とか書き出してもおかしくない。
丹下か私かってくらいリングサイドで声をはりあげても、風、全く立つ気配なし。
もうクララの馬鹿!意気地なし!
二郎くん、私の飛行技術だって欧米より20年遅れている。
今日も、崖の上の処女。風さえ立ったら、私だって飛びたい。
顎がどんなに放物線を描いても、飛べない豚はただの豚かな。
ガラ空きの両手で必死に計算尺を使っても、人生設計の線ひとつ引けない。
でも、美しさと対極の世界で、自分の腕をタービンのように動かして、かき混ぜにかき混ぜたぬいたあの納豆のように、腐っても、におっても、
糸を引くような旨味っつーのが私にだってあるんだよ。
きっと、どっかに!右、少しななめ前あたりに!