平和とは何か。

身長156センチ。
53歳にして、酒を飲むと道ばたで笠松飛び。
側転とび4分の3ひねりかかえ込み宙返り。(笠松飛び)

今日は、父の話。

父は平和をこよなく愛している。
平和のために声をあげることをいとわないし、
時が時ならワシがイラクに行ってたっておかしくないってのが口癖。

そんな父が夏になるとライフワークとして毎年毎年こなすのが、

原爆の火』を運ぶこと。

原爆の火ってのは、広島に例のヤツが落ちたとき、誰かが残り火をカイロに取り、それを未だに50年以上も絶えず燃やし続けてるっていう、ちょっとイナセな品。

父は夏になると『原爆の火』を管理する人たちをあの手この手で口説き落として、その火のおっそわけをいただき、オリンピックの火のようにリレーさせ、平和を熱く訴える。

私はそんな父の背中を見ながら、育った。

父が煌々と燃える火を指さし、『あの火は50年以上前の原爆の火なんだよ、父さんが運んだんだ』と教えてくれるたび、子供ながらに、「このオヤジやるなあ。小さな巨人だな。」なんて思ったものでした。

昨日、家族で飲みに行きました。

話題は『自転車と俺』。

私が車とぶつかって自転車が1/2になった話をすると、
母がすかさず踏切で自転車の後輪が外れて、ちょっとした昔の自転車みたいになった話を披露、
弟はもっぱらツッコミに徹していたので特にネタはないようで、
さぁ父の番となった。

『父さんもランプ持ったまま、転んだときは焦ったなあ』

ランプ・・?
それって・・もしや・・例の・・?

その蒸し暑い夏の夜。
156センチの彼は、必死に自転車を漕いでいた。
右手には原爆の火の入ったランプを持って。

明日は8月6日。
みんながこの火を待っているんだぞ。
この火を見つめながら、みんなで平和について考えるんだぞ。
汗だくで自転車を漕いだ。

そうして路地を曲がると一台の消防車が止まっていた。

父さん、ん・・?と思いました。

いやいやいや、全然やましくない。
やましくない、胸張って言える。
やましくなんかない!

だ・が、

消防車の横を夜、ランプを持って通るって、これどうなの?

んー。

両方が微妙に気まずいよね。

変な空気流れちゃうよね。

父さん、悪いことはしてないけど、何となくターンしようとしました。

したっけ丁度、消防車サイレン鳴ってやんの。

びくっー。
ってなったらしい。

加藤家は代々根っからの小心者。
親戚一同集まっても、ヤンキー1人もいない。
腕におぼえ有りって顔、1人もいない。
目、常に泳ぎ系。
縄文も幕末も戦後もピグミンのように生き抜いてきた。

それが、加藤の歴史。

んで、見栄っ張りも家系らしく、彼ったら、サドルをちょっと高めにしていたらしく、無惨にも地に足がつかなかった。

結果、おもいっきり転けました。

消防隊員が心配して駆け寄って来たときには、顔面蒼白のビックリ顔で大の字にひっくり返りながらも、
ランプだけはしっかり掲げちゃって、もう怪しいのなんのって。

しかも転んだ拍子にアルコールなんて全部飛び散っちゃって、微妙に飛び火して、『なんだその火はっ!』なんつって、危うく原爆の火、消火される勢い。

父、『駄目だー!この火は尊い火なんですー!』なんつって怪しさは増すばかり。

そして、

父(放火犯疑い)と消防隊員と30分近くに及ぶ討論の末、

和解。


その頃一方、原爆の火ですが
共に平和を守っていこう!と二人が抱き合う頃には、すっかり元気なさげ。
アルコールもすっかり抜けて、オーラ薄くなっちゃってる。

『あーーーーーーっ!』

なんつって、彼が自転車を唸らせて、家路に着く頃には、すっかり、鎮火。
彼は抜け殻になったランプを抱えながら、リビングで1人途方に暮れた。

翌日、どっかの会館にて、父に手を引かれた私は、例のセリフを耳にすることになる。


『ハイネ、いいか、あの火は50年以上前の原爆の火なんだよ、父さんが運んだんだ』


あれは、我が家のコンロの火だった。